みなさんこんにちわ! ストレッサー将軍です。

ウェザーリポートの解釈

BUMP OF CHICKENの曲で『ウェザーリポート』という曲があります。

この曲は解釈が難しいらしく、いろんな解釈があるようです。

ネットではいろんな解釈が披露されています。

しかし、そのなかに私の納得できる解釈を見つけることができませんでした。

なので、私なりの解釈をここで解説したいと思います。

将軍はBUMP OF CHICKENの大ファンです。

注目すべき後半の歌詞

前半、中盤の歌詞の解釈は飛ばします。

重要なのは後半の歌詞です↓

国道の川を渡って やっぱり振り向いたら

マンホールの上に立って 傘がくるくる

あなたの あの笑顔が あなたの心を隠していた

あの傘の向こう側は きっとそうだ 信号は赤

あなたの その呼吸が あなたを何度責めたでしょう

それでも続く今日を 笑う前に 抱きしめて欲しい

抱きしめに行こう

車屋の前の交差点で ショーウィンドウに映る

相合傘ひとりぼっち

それを抱きしめた 自分で抱きしめた

引用:ウェザーリポート 作詞作曲:藤原基央

ここの解釈がいろいろと分かれるところとなっています。

中には、「車に轢かれた友達のことを歌った歌だ」という解釈もあるようですが、私はその解釈には反対です。

ストレッサー将軍の解釈:『信号は赤』

まず注目したいのは、『信号は赤』という意味です。

この『信号は赤』の部分では、

「”あなた”の心が赤信号(つまり、危険な状態)なんだ」

という解釈が多く見られますが、私はそうではないと思っています。

これは単純に、

「信号が赤だから、”主人公”は身動きがとれない。今すぐに”あなた”の元に駆け寄ることができない状況にある」

という意味で、『信号は赤』と書いているのだと思います。

そこまで深い意味はなくて、ただたんに、”主人公”が身動きできない状況にあることを説明しているだけなんじゃないのかな。

ストレッサー将軍の解釈:『ショーウィンドウに映る 相合傘ひとりぼっち』

『車屋の前の交差点で ショーウィンドウに映る 相合傘ひとりぼっち』

ここの歌詞も解釈が難しいみたいです。

中には、「心の中にいるもう一人の自分と相合傘をしている」みたいな解釈もあるようです。

確かに、相合傘は二人でするものなのに、ひとりぼっちってどういうこと? と、なるかと思います。

ただ、ここもみなさん考えすぎな気がします。

ここの歌詞は、単純な情景描写だと思えば、解釈がしやすいと思います。

まずは、”主人公”と”あなた”の位置関係を整理しよう。

”主人公”は交差点の手前側にいます。信号が赤なので、横断歩道を渡ることができません。目線の先には”あなた”がいます。

”あなた”は、交差点の向かい側にいます。マンホールの上で、傘をくるくるしています。

”あなた”の先には、車屋があり、そこにはショーウィンドウがあります。

きたねぇ手書きでごめんよ
位置関係はイメージできたかな?

”主人公”は、前を見ます。そこには”あなた”がいます。

さらに、”あなた”の先には、車屋のショーウィンドウがあります。

そして、”主人公”は、ショーウィンドウに映っているものをみます。

そこには、”あなた”と”主人公”が映っています。

”あなた”と”主人公”の間には距離があります。横断歩道一つ分の距離があいています。

でも、ショーウィンドウは平面ですから、ショーウィンドウに映る”あなた”と”主人公”は、まるで隣にいるかのように見えます。

そうです、ショーウィンドウに映る二人は、まるで相合傘をしているように見えているのです。

わかりずらくてごめんよ。美術の成績はいつも5段階評価の2だったよ。

でも、実際は、二人の間には距離があるので、お互いひとりぼっちなわけです。

これが、『相合傘ひとりぼっち』の意味だと、私は解釈しています。

”あたな”と”主人公”の間には距離があって、お互いひとりぼっちなんだけど、ショーウィンドウに映る二人は、まるで相合い傘をしているように見える。隣にいるように見える。

この情景を説明するには、本来であれば、これだけの文字数が必要になるのです。

でも、それを制限のある『歌詞』に落とし込むために、『相合傘ひとりぼっち』という言葉を藤原さんは選んだのではないかと思うのです。

『相合傘ひとりぼっち』にも、そこまで深い意味はない。
ただの情景描写だと、将軍は思います。

ストレッサー将軍の解釈:『それを抱きしめた 自分で抱きしめた』

『それを抱きしめた 自分で抱きしめた』

この曲の、一番最後の歌詞です。

ここも解釈が難しいみたいです。

『それ』とは何か? 『自分で抱きしめた』ってどういうこと? と、なるかと思います。

将軍は思うのです。

この歌詞にも、そこまで深い意味はないのだと。

これもまた、ただ情景描写だと思うのです。

難しく考えなくていいんでないのかなぁ。

まず、『それ』の意味ですが、これは『ショーウィンドウに映る 相合傘ひとりぼっち』のことをさしているのだと思います。

つまり、『ショーウィンドウに映っているひとりぼっちの”あなた”(実態の”あなた”のことではない。あくまでもショーウィンドウに反射している”あなた”の映像)』のことを、『それ』と云っているのではないでしょうか。

順を追って説明しましょう 。

まず、”主人公”は『抱きしめに行こう』と決意しています。今すぐにでも”あなた”のそばに駆け寄って、抱きしめたい。

でも、『信号は赤』だから、今すぐ抱きしめに行くことができない。もどかしい。

そんなとき、ふと前を見ると、ショーウィンドウに”あなた”と”主人公”が映っているのが見えた。

二人はまるで、相合傘をしているようだ。

”主人公”の肉体は赤信号に阻まれていて、”あなた”の元へはすぐに行けない。

でも、心はすでに、”あなた”の元へと一秒でも速く着くために、駆けだしている。

”主人公”は一刻もはやく、”あなた”を抱きしめたい。

だから、”主人公”はショーウィンドウに映る自分に、ショーウィンドウに映る”あなた”を抱きしめさせようとした。

”主人公”と”あなた”との間には横断歩道一つ分の距離が離れているけれど、ショーウィンドウに映る二人には、距離がないように見えたから

だから”主人公”は、ショーウィンドウに映る自分に、ショーウィンドウに映る”あなた”を抱きしめさせようとした。

その状況を、客観的に見ると『自分で抱きしめた』ということになる。つまり、「自分で(自分を)抱きしめた」ということ。

ショーウィンドウに映る”主人公”に、ショーウィンドウに映る”あなた”を抱きしめさせるためには、”主人公”は「自分で自分を抱きしめるという動作」をしなければならないから。

もしくは、ショーウィンドウに映る”主人公”の映像のことを『自分』と言っている可能性もあります。

自分という言葉には、どこか客観的なニュアンスがあります。

主観的な言葉であれば、「ぼく」や「私」を使った方が良いと思います。「ぼく(私)が抱きしめた」でもいいはずです。

でも、あえて『自分で』という言葉を使っているのは、ショーウィンドウに映る自分の映像のことを客観的に表現しているからなのかもしれません。

『自分で抱きしめた』の『自分』は、『ショーウィンドウに映る自分』のことを意味しているのかもしれません。

『自分』=『ショーウィンドウに映る自分の映像のこと』

なのかもしれません。

つまり、ショーウィンドウに映る自分(の映像)で、ショーウィンドウに映る”あなた”(の映像)を抱きしめたということです。

だから『自分で抱きしめた』という歌詞になる。

本来であれば、この状況を説明するためには、たくさんの文字数が必要になる。

でも、制限のある『歌詞』に落とし込むために、藤原さんは『それを抱きしめた 自分で抱きしめた』という言葉を選んだのではないかと思ったのです。

ショーウィンドウの中では、”あなた”を抱きしめることができた。
でも、ここで歌詞は終わっている。
つまり、そのあと、本当に生身の”あなた”を抱きしめることができたのかは、不明。
ショーウィンドウに映る”あなた”を抱きしめるだけで精一杯だったのかもしれない。
そこの余韻がまた、すんばらしいと思います。

Amazon BUMP OF CHICKEN『aurora arc』

解釈は人それぞれ、だから楽しい

私の『私的解釈』は以上です。

解釈は人それぞれです。

何が正しい、間違っているという話ほど、つまらないものはありません。

世界は多様だから美しいし、多様だから面白いのですから。

みんなの解釈も聞かせてね!

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